ご挨拶

2020年12月

   人と人がふれあう、分かちあいの社会へ

2009年の市議会議員選挙で初当選してから、まもなく12年になります。

子どもたちを育ててくれた地域への感謝の気持ちと、長い時間をかけて成立した子どもの権利条例に基づく市政にしたい、という思いからの挑戦でした。

保育所や学校や学童などの子育てを共にした仲間たちが中心で応援してくれて、広いつながりができました。

1期目から3期目の途中までは、政治団体「市民自治こがねい」の推薦をいただき、共同代表として市に提言なども行い、共に活動してきました。

1期目の2011年3月には東日本大震災、福島原発事故が起こり、社会が大きく変わりました。4月の小金井市長選では私たちが応援した佐藤和雄市長が当選しましたが、6ヶ月で辞任することになり、支えきれなかったことをいまだに悔やんでいます。

3期目の2018年5月には、坂井えつ子議員からの会派をわかれたいという申し出が、市民自治こがねい総会で了承されたため、会派をわかれることになりました。

市民自治こがねい運営委員や共同代表も降り、「市民といっしょにカエル会」という新たな会派を結成し、これまで支えてきてくれた「片山かおるといっしょにかえる小金井の会」のメンバーと共に、ひとり会派として、市議会での対応や市政への提言、様々な選挙での判断を行なってきました。

原発事故、安保法制、辺野古新基地問題、コロナ災害など、この間、様々な社会問題が起こり、市内外の多くの仲間と共に立ち向かってきました。

全国の超党派の地方議員とつながりながら、原発事故避難者支援、意見書採択運動などを行なってきました。近年は「日韓市民交流を進める希望連帯」に参加して韓国の政策を学び、コロナ災害下では、最も困っている人たちを支援するために「コロナ災害対策自治体議員の会」を作り、政府交渉や困窮者支援を行なっています。

大変厳しい選挙となることから、今回の選挙に挑戦するべきかどうか、迷いがありました。

しかし、原発事故から10年となるのに、いまだ脱原発が実現されず、避難者の窮状もそのまま忘れ去られようとしています。コロナ災害下では、私が1期目から公約として掲げてきた子どもの権利が、いとも簡単に踏みにじられ、子どもの貧困が進む様に黙っていられない思いが募り、再度、2021年3月21日投開票の市議会議員選挙に挑戦する思いを固めました。

人と人がふれあうことが怖くなり、オンライン化デジタル化が進みリアルな繋がりが持てなくなっている社会のあり方に、異を唱え、いま一度、私たちは何を大事にするべきなのかを訴えていきます。ハウジングファーストの考えを実践する住宅政策。韓国でも実践されている「出かける福祉」政策。子どもたちが主体となる少人数学級や給食のオーガニック無償化など、コロナ災害下でも、みんなで共に生き抜いていく政策提案を行なっていきます。

こんな市政にしていきたい、というアイディアを、ぜひ寄せてください。そして共に、小金井から社会をかえる取り組みに挑戦しませんか?

これまでも、未熟な議員活動を温かく見守っていただきありがとうございました。

今一度、力をお貸しください。どうぞよろしくお願いいたします。

2017年3月

   子どもが暮らしやすい町は、おとなもきっと暮らしやすい!

2009年からの8年間、本当に多くの人々に支えられ、議員活動を続けることができました。

福島原発過酷人災事故がいまだ収束しない中、原発事故避難者への支援が打ち切られようとしています。事故の責任はだれも追及されず、避難者への差別や偏見が広がっています。

立憲主義を脅かす、安保法制が成立し、私たちの足元では格差と貧困が広がり、社会は激動しています。

私たちの住んでいる町から脱原発と平和を、市民と共に、よりいっそう強く訴えていかなくてはならない、と思っています。

5年かかって、ようやくできあがった議会基本条例を活用し、市民にもっとわかりやすく開かれた議会に変えていきます。

小金井の長年の課題だった、新庁舎と福祉会館建設を早急に進め、市民参加を市政の真ん中に置いた、高齢者も障がい者も子どももセクシャルマイノリティーも、だれもが当事者として、差別されず、共に生きていくことができる町をめざします。

私の基本理念は最初からずっと、「子どもの権利とおとなの人権」「民主主義を活かしきる」「足もとからの平和」です。

これからも、多くの人たちと共に学び考えながら歩んでいきます。どうぞ応援してください。

 

 

 

2013年1月  

                   原発のない平和な未来を選びとろう!

 

みんなといっしょに政治の場へ

2009年3月の市議会議員選挙から4年が経とうとしています。本当に多くの市民の方に支えて頂き、なんとか議員活動を続けることができました。

この間、図書館や学童や給食の民間委託問題、市民交流センターの取得問題、ごみ処理問題など、市政が大きく揺れ動く中で、ひとつひとつの問題について市民の方々と共に解決方法を探ってきました。

 

原発事故、市長選で、市民の力が試された

そして、昨年4月の市長選では市民の力が結集し、市民派市長を誕生させることができました。311の原発事故が起こった、ひと月後です。社会全体が「このままではいけない」という思いに満ちていました。

しかし、ごみ問題を巡って議会は紛糾。佐藤市長は辞任に追い込まれました。私自身も市長を支える力が不足していたのだと思います。

311以降、社会の在り方、政治の問題に目覚めた市民は多く、市議会にも大きな影響を与えました。議会基本条例制定への取組み、市民が始めたインターネット中継から市議会主催の中継への移行など、より市民に開かれた議会にしようとしています。

 

これから私たちがやらなければならないこと

原発事故が収束していない今、小金井という地域から、被災地、避難者への支援、エネルギーの転換、大量生産・大量消費・大量廃棄社会の見直しを発信していくことが必要です。

これまで取り組んできた、子どもの権利条例の充実、子どもの貧困対策とともに、再生可能エネルギーの活用や、ごみ問題の解決にむけてゼロウエスト宣言を行った自治体を参考に、市民主体でごみゼロに向けての取組みを進めていきたいと思います。

私が4年前に掲げた基本理念は「子どもの権利とおとなの人権」「民主主義を活かしきる」「足もとからの平和」でした。これからも同じ思いで、多くの人たちと共に考え、共に学びながら歩んでいきたいと思っています。

 

2009年3月

私といっしょに挑戦するつもりで応援してください!

小金井に住んで13年、初めての子どもが生まれた年に引越してきました。子どもの成長とともに私自身も、社会への目が開かれ育ってきたように思います。

小規模異年令保育所の保育者や親たち、公民館の女性学級、小学校など「子育て」をきっかけに知り合った仲間たちから学んだこととは、「子どもは地域で育つ」ということ、「自分が助けてもらった子育てを、次の世代の人に返してあげる」こと、「大人にとっても子どもにとっても〈いい加減(ほどよいこと)〉が大事」などなど。東京都から助成金がカットされそうになって都議会に請願したり、市に陳情する、といった議会への働きかけ方を学んだのも保育所にいる時でした。

子育てから、より広い市民活動へ

「みんなで子育てする町」を作りたいね、との思いを共にする親たちが、幼稚園、保育園、学校といった垣根を超えて集まり、井戸端会議という名前でイベントを行ないながら横に繋がっていったのも同じ頃。

その後、2年ほど休止となっていた「武蔵野はらっぱ祭り」復活に関わったり、教育基本法改悪阻止のため、先生方と市民が協同した運動に参加もしました。「子どもの権利条例」策定時のおとな会議に参加し、策定委員会の傍聴をかさね、現在も制定に向け陳情を出し続けています。公民館本館の企画実行委員となった時は、8ミリ講座や子どもの人権講座など、市民が今、学びたいと思える講座作りを考えてきました。市民活動や勉強会、都知事選や参議院選挙を経て、「生活の基を成すのは善かれ悪しかれ政治である」と思い至りました。

みんなといっしょに政治の場へ

子育てと同様に「自分が助けて(楽しませて)もらった小金井での暮らしを、お世話になった相手に返すのではなく、次の世代の人に返して繋げていく」というつもりで、今、私ができることがあるならやってみよう、と考えています。

市民活動にほんの少し関わっただけでも、議員よりよほど勉強している人、議員よりもっと広い視点で物事が見える人が、小金井にはたくさんいることがわかりました。

ひとりぼっちではなく、見識ある多くの市民の方に支えられて取り組むのであれば、未熟な私でもなんとかやっていけるのでは、と思っています。

私といっしょに挑戦するつもりで応援していただけるとうれしいです。

どうぞよろしくお願いいたします。